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日本紀竟宴和歌

luyued 发布于 2011-04-11 09:51   浏览 N 次  


元慶六年歌

001 日本紀竟宴,各分史,得大鷦鷯(仁德)天皇二首
氣不利奈岐 也度遠女玖美之 須女良己曾 也曾度世阿末利 玖爾之良之氣禮

煙無(けぶりな)宿(やど)(めぐ)みし (すめら)こそ 八十年餘(やそとせあま)國治(くにし)らしけれ

皇太后宮大夫藤原朝臣國經 【藤原國經】 001


002 【承前。】
於保散散岐 多加都乃美也乃 安女毛留遠 可世奴古度乎多 美波與呂古部

大鷦鷯(おほさざき)高津宮(たかつのみや)雨漏(あめも)るを ()かせぬ(こと)(たみ)(よろこ)

【仁德紀】

藤原國經 002


延喜六年歌

003 日本紀竟宴,各分史,得神日本磐余彥(神武)天皇并序
日本書紀者,一品舍人親王、從四位下太朝臣安滿等奉敕所撰也。神代上下紀、帝世廿八紀,總三十卷。筆削成功,其勤至矣。此紀元慶鼓篋以來,二十餘年,倚席不講,時人竊歎:「師說將墮。」甲子歲,降綸旨,令大學頭藤大夫說之。大夫下意之間,上口而答,舉前儒之干矛,鑿後生之耳目。況亦教而無倦,勤以傾懷。始於四年秋八月廿一日,終於六年冬十月廿二日。即閏十二月十七日,聊屈師禮以成竟宴。干時在朝公卿大夫,莫不畢會焉。數巡酒候,座人耳熱,宜歌舊史,各述緣情。其詞云:

渡飛加氣留 阿麻能依波布禰 多都禰弖蘇 阿岐都志麻珥波 美野波志迷勢留

飛掛(とびか)ける 天磐船(あまのいはぶね)(たつね)てぞ 秋津島(あきつしま)には 宮肇(みやはじめ)せる


天皇(すめら)皇子(みこ)手研耳命(たきしみみのみこと)。及年卌五歲,詔曰(たまはく):「我天祖(あがあまつみおや)養正(ただしきみちをおこなひ),治此西偏(にしのほとり)遼遙之地(はるかなるくに)猶未霑於王澤(なほみうつくしみにうるほはぬがごとく)邑君村長(むらむらのきみ)各相凌躒(あひきしろへり)。又鹽土老翁(しほつちのおきな)曰:『東有乘天磐船(あまのいはぶね)飛降(とびくだれる)者,有美地(よきくに)矣。』彼地足以始造宮都(はじめてみやつくり)恢弘天業(あまつひつきをひろめむ)蓋六合之中心乎(あめのしたのもなかなるべし)。」諸皇子對曰:「理實(ことわり)灼然。」其年,率皇師(すめらいくさ)東征。又皇輿巡幸(すめらみこといで)登丘(をかにのぼり)詔曰:「此國之狀,猶如蜻蛉(あきつ)臀呫(となめせる)焉。」由是始有秋津洲之號(あきつしまのな)也。蜻蛉(あきつ)蟲名(むしのな)也。【神武紀】

從五位下大內記兼周防權介三統宿禰理平 【三統理平】 003


004 得國常立尊
葦芽迺 那微能幾佐斯裳 度保迦羅須 阿麻都比津機能 波治米度母弊波

葦芽(あしかび)(なみ)(きざ)しも (とほ)からず 天日嗣(あまつひつぎ)(はじめ)()へば


開闢之初(あめつちのひらくるはじめ)浮漂之中(うかひただよへるなか)生一物,(かたち)葦芽(あしかび),便化為(かみ)。號之國常立尊(くにとこたちのみこと)葦牙(あしかび)者,(あし)角組(つのぐめる)之形矣。【神代紀】

從五位下守大學頭藤原朝臣春海 【藤原春海】 004


005 得日臣命二首
伊佐遠志久 多陀斯岐瀰知乃 於牟迦斯佐 斗弖曾和我那毛 岐微波多末比

(いさを)しく 正道(ただしきみち)(おむがし)さ とてぞ我名(わがな)(きみ)(たま)ひし


神日本磐余彥天皇(かみやまといはれひこのすめらみこと),既(ひきゐて)皇師,欲(おもむき)中洲時,山中嶮絕(やまのうちさがしく)無復行路(ゆくべきみちもしらて),棲遑嗟嘆(なげき)。時夜夢天照大神(あまてるおほむかみ)訓:「(われ)今遣八咫烏(やたからす)宜以為鄉導者(みちびきとせよ)。」果有烏自空翔降(そらよりとびくだれり)天皇(すめら)悅其夢(かなへる)。時日臣命(ひのおみのみこと)(つはもの),尋烏所(むかふ),仰視而追之。天皇敕譽曰(ほめてのたまはく):「(なむぢ)忠且勇(いさをしく),而能嚮導(よくみちびけり)。故改汝名(なをあらためて),為道臣(みちのおみ)矣。」【神武紀】

學生蔭子從八位下葛井宿禰清鑒 【葛井清鑒】 005


006 【承前。】
以婆禮比古 美流伊米佐女弖 耶駄賀羅須 和禮斗曾府多理 美知波遠志弊祀

磐余彥(いはれひこ)()夢醒(いめさめ)八咫烏(やたからす)(われ)とぞ二人(ふたり)(みち)はを(しべ)


已見上首(かみにみえたり)

葛井清鑒 006


007 得天穗日命二首
阿磨能褒臂 俄彌農美飫野簸 耶佐賀珥迺 伊朋津儒波屢濃 多莽登胡楚者雞

天穗日(あまのほひ)(かみ)御親(みおや)八坂瓊(やさかに)五百箇統(いほつすばる)(たま)とこそ()


素盞鳴尊(のをのみこと),取右髻所纏五百箇御統(みきのみつらにまつへるいほつすばる)(たま),著於右手(みぎのて),化生天穗日命(あまのほひのみこと)。【神代紀】

學生蔭孫從七位下矢田部宿禰公望 【矢田部公望】 007


008 【承前。】
俱娑幾微儺 舉都夜謎豫斗底 婀肆撥羅乃矩兒 閉多智儞芝 夷裝鳴那梨氣釐

草木咸(くさきみな)言止(ことやめ)よとて 葦原國(あしはらのくに)(たち)にし 傑也(いさをなり)けり


天照大神皇孫(あまてるおほかみのすべみま)欲為葦原中國(なかつくに)(きみ),時彼地(そのくに)多有螢火光神,及蠅聲邪神(さばへなすあしきかみ)復有草木咸能言語(またくさきみなものいふ)高皇產靈尊(たかむすびのみこと)八百萬神(やほよろづのかみ)問曰(とひたまはく):「吾欲令撥平(はらひ)葦原中國之邪鬼(なかつくにのあしきもの),當(つかはす)誰者宜也?」僉曰(みないはく):「天穗日命(あまほひのみこと)是神之傑(これかみのいさを)也。」即(つかはし)(たいらけ)之云。【神代紀】

矢田部公望 008


009 得櫛玉饒速日命二首
蘇朗美都邇 阿麻能伊婆布然 玖陀斯志波 比志理迺微餘袁 和多須登傳那理

虛空見(そらみ)つに 天磐船(あまのいはぶね)(くだ)ししは (ひじり)御世(みよ)(わた)すとてなり


神日本磐余彥(かみやまといはれひこ)尊,此天皇(すめらみこと)(うちたまふ)長髓彥時,長髓彥(ながすねひこ)遣使曰:「(むかし)天神之子(あまつかみのみこ),乘天磐船(あまのははぶね)自天降止(そらよりくだりませり)()櫛玉饒速日尊(くしたまにぎはやひのみこと)。吾(つかへまつり)(きみ)焉。夫天神之子(あまつかみのみこ),豈有兩種(ふたはしらあり)乎?奈何(いかでか)更稱天神子,可奪人地(ひとのところをうばふべき)乎?」天皇詔曰:「天神子(あまつかみのみこ)多耳(おほし)汝所為君(なむぢがきみとするところ)(まこと)天神子者,必有表物(しるしもの),可相示(みせ)之。」長髓彥(ながすねひこ)天羽羽矢(あまのはばや)(ゆき)等。天皇覽之(すめらみそなはして)曰:「事不虛也(まことなりけり)。」還以所御天羽羽矢(あまのはばや)(ゆき)賜示。長髓彥(ながすねひこ)見其天表(あまつしるし)益懷踧踖(つつしみかしこまる)云。又饒速日尊(にぎはやひのみこと),乘天磐船(あまのははぶね)巡幸大虛(おほそらにめぐりあるく)也。(ゆへ)稱此國:「虛空見日本國(そらみつやまとのくに)矣。」【神武紀】

學生蔭孫從七位上藤原朝臣忠紀 【藤原忠紀】 009


010 【承前。】
毗佐迦陀能 阿麻農婆波耶能 那賀理勢波 阿羅布留比度袁 那邇迦牟碍末斯

久方(ひさかた)天羽羽矢(あまのはばや)()かりせば 荒振人(あらぶるひと)(なに)()けまじ


已見上首(かみにみえたり)

藤原忠紀 010


011 得王辰爾
譽能那呵尼 吉美那賀利勢婆 嘉羅須皤爾 加氣流古登皤皤 那褓幾裔奈麻志

世間(よのなか)君無(きみな)かりせば 烏羽(からすは)()ける(ことば)猶消(なほき)えなまし


高麗(こま)上表疏,書于烏羽(からすのは)。以其羽黑(はくろ),字不能識(しりがたき)。王辰爾乃蒸羽於飯氣(はをいひのけにむし),以白絹押印(しろききぬにおしうつ),遂得辨讀(わきまへよめり)。【敏達紀】

少內記從六位上藤原朝臣博文 【藤原博文】 011


012 得事代主神
須女美萬仁 夜志末乎佐利弖 奈美能宇倍乃 阿遠布事加幾邇 多比為須留可那

皇孫(すめみま)大八洲(やしま)()りて 浪上(なみのうへ)青柴垣(あをふしかき)旅居(たびゐ)する(かな)


天照大神(あまてるおほかみ)欲立皇孫(すめみま)葦原中國之主(あいばらのなかつくにのきみ),遣眾神至出雲國(いづものくに)撥平(はらひしつめ)大己貴神。大己貴神(おほなむぢのかみ)曰:「當問我子(わがこにとひ),然後將報(かへりことまうさん)。」是時事代主神(ことしろぬしのかみ)三穗之碕(みほのさき),故以熊野諸手船(くまののもろたふね)載使者稻背脛(いなせはぎ)遣之,且問將報之詞(かへりこと)事代主神(ことしろぬしのかみ)曰:「我父宜當奉避(わがかぞさりまつるべし)。」因於海中(わたのなか)八重蒼柴籬(やへのあをふいかき)避之(さりぬ)云。【神代紀】

式部少丞正七位下藤原朝臣佐高 【藤原佐高】 012


013 得思兼神
於蒙飛加禰 多波賀利許度乎 勢佐利勢波 安萬能伊波度波 飛羅氣佐良萬事

思兼(おもひかね)深謀事(たはかりこと)()さりせば 天磐戶(あまのいはと)(ひら)けさらまし


天照大神(あまてるおほかみ),以素盞鳴尊(すさのをのみこと)為行(しわざ)無狀(あぢきなし),乃入于天石窟(あまのいはや)。閉磐戶(いはと)幽居(かくれ)焉。時六合之內(くにのうち)常闇(とこやみ),而不知晝夜之相代(ひるよるのかはるもしらぬ)思兼神(おもひかねのかみ)深謀遠慮(ふかくおもひはかり),遂(あつめ)常世之長鳴鳥(とこよのながなきのとり)使互長鳴(なかせ)。亦以手力雄神(たちからをのかみ),立磐戶(いはと)(わき)天照大神(あめてるおほかみ)細開窟窺之(ほそめにあけてみそなはす)手力雄神(たちからをのかみ)奉承大神(おほんかみ)之手,引而奉出(ひきいだしたてまつれり)。於是中臣(なかとみ)忌部(いむべ)神等,(ひきわたし)端出之繩(しりくめなは)曰:「勿復還幸(またなかへりましぞ)。」【神代紀】

左大史正六位上兼行算博士阿保朝臣經覽 【阿保經覽】 013


014 得天手力男命
止己也美母 多乃之支美興止 奈利介留波 安女多知加良乎 多須介安利介利

常闇(とこやみ)(たの)しき御世(みよ)()りけるは 天手力雄(あめたちからを)(たす)けありけり


思兼神之詞(おもひかねのかみのことば)已見於上(かみにみえたり)

外從五位下大外記阿刀宿禰春正【阿刀春正】 014


015 得猿田彥
比佐加多乃 安萬乃也弊久毛 不利和計天 久多利之支美乎 和禮曾無加弊之

久方(ひさかた)天八重雲(あまのやへくも)振別(ふりわ)けて (くだ)りし(きみ)(われ)(むか)へし


天照大神御子(あまてるかみのみこ)(まさむ)瑞穗國(みづほのくに)(とき)先驅者還白(さいはらひかへりまうさく):「天八達之衢有神(あまのやちまたにかみあり)。」大神(ほむかみ)天鈿女(あまのうずめ)問之。衢神對曰(ちまたのかみこたへていはく):「聞天照大神之子(あまてるかみのみこ),今當降行(くだりますべし)。故
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